2018/10/15

猿蟹合戦

広告です。

 登龍舘から月刊絵本の11月号「猿蟹合戦」が発売されました。勿論、絵を担当しています。
 といっても幼稚園への配本ものなので、本屋さんにはないのですが、登龍舘のウェブサイトでの購入はできるみたいです。
 興味のある方は登龍舘まで。

2018/09/02

しつこくコンペ

7月あたま、とりあえず1度、とわからぬままに参加した作品。名刺に乗せる似顔絵でニックネームがのびちゃんというからには、とは思ったが、仮にもプロである以上、似たような絵は描けないとばかりに正攻法で参加して見事に没った1枚。クライアントが求めていた絵は「やっぱりこれなんだ」と納得した絵だった。

 多分、仕事であったとしても、藤子不二雄さんの許可がないものであれば私には描けないものであり、ランサーズやクラウドワークスのクライアントさんの中には玄人さんも素人さんもおられるのだと改めて思った。

 つまりはこちらが納得いかなければ、参加しなければいいだけなのだが、そう言っているうちは仕事にありつけないのかもしれないのかもしれない。

2018/08/20

コンペ、その後

コンペは嫌いだ、と言いながら、相も変わらずちょこちょこ参加しては、没っている。
 没、と言っても大勢の中から一人、ほかは「没」なわけだし、仕事の方はじり貧、というか皆無に等しいので、やらざるを得ない。

 なぜ、落ちたとか、なんでこれが、などと考えるのはやめた。とにかく、描けそうなコンペには片っ端から参加しようと思う。
 今の所、その方法しか「営業」できないのだから。

2018/06/13

几帳面なスーパーマン

絵本のイラストも大好きなのですが、面白イラストも大好きです。
かつては広告イラストにこういう遊びを入れたりしていましたが、最近はそんな注文も無くなりましたね。
また、描きたいです。

2018/04/19

日めくり












昨年の10月ぐらいから、日めくりカレンダーを黙々と描いている。
売れなければ、あまり収入にはならず、厳しい状況ではあるのだが、それでも、描いているといはそれなりに喜んでいる自分に気づく時があり、一人、アトリエではにかんだりしている。
本人はそれでいいのだが、家族は結局、幸せには程遠い生活を強いている。

少しは売れてくれないなあ…!

2018/03/23

コンペ

独白 コンペ

仕事がほとんどない状態が続いているので、
クラウドなどのコンペに参加したりしてみた。

コンペティション。この仕事をしている限り
避けられないものだが、正直に告白すると苦手である。

仕事の上では、大抵デザイナーさんがおられるので、
直接、結果を直視しなくてもよいのだが、クラウドなどは
もろに結果が分かる。

クライアントさんの好みというのもあるだろうし、少しは
この業界で仕事をしていたのだから、使い物にならない
訳ではないだろう、とは思いつつ、不可が増えてくると、
だんだんに凹んでいる自分に気づいたりする。

もう、イラストの世界はコミック、アニメが主流、俺の絵は古いんだ。
もう、俺の絵は使い道がないんだ。

しかも、クラウドでのイラスト、場合にもよるけれど総じて安価だ。
コンペを通過しても「この値段では食えない」というものが多い。

コンペ。
参加しないいことにはクライアントさんと繋がらない。
参加するためには描かなければならない。
でも、参加し、アウトになれば、その作品は使えないし、
心の中には「ダメな自分」のレッテルが増えていく。

この年になっても「コンペ」は嫌いである。

2018/03/08

嬉しかったこと

 ちょっと恥ずかしいがちょっと嬉しかったので、あまり、人の見ていないであろうここでつぶやいておく。

 長年使っていたマックが突然ご臨終にて、HPの更新ができなくなる。
 勿論、ウィンの方にもDWはあるのだが、マックが全く動かず、元データをダウンロードするのも一苦労。やっとのことで開いたのだが、新しいDWで開くと「拡張子が無い」と駄々をこね、コードしか見せてくれない。
 私としてはこの辺が限界、とかつて学校でデッサンやイラレなどを教えていた学生に助けを求めた。彼は絵も上手だったが、ウェブ系にも勿論強く、そちらの方に就職したらしい。
 忙しいさなか、すぐに反応してくれ説明をくれるが、…リンクしていたり表示しているようでしたら一旦その部分だけテキストエディタでソースコードから削除して…あたりでもう、ちんぷんかんぷん。ごめん、ちょっとわからない、と言い出すと「ちょっと待って」と解析ツールを使って保存したデータを送ってくれた。そいつで開くと、開通!
 その後も、新しいDWにもたもたする私に丁寧に説明をくれ、「良かったです」と仕事に戻っていった。
 まさに「おうた子に教えられ」どころか「おうた子に助けられ」た。
 自分でできる限界がすぐに来たのにはがっかりで恥ずかしくもあったが、かつての教え子が立派に仕事をしている姿に、嬉しさを隠せない自分も確かにいたのである。